25年前の夏・・・

今から25年前の8月12日は、あの御巣鷹の日です。
 
この頃になると、毎年テレビや新聞、雑誌等でも話題になります。
今年はあれから四半世紀ということで、また特に大きく取り上げられているようで・・・。
 
去年も書きましたが、私は高校2年でした。
ちょうど部活の合宿中で、生存者の方が救出されたのを合宿先で夕飯の支度をしながら観ていました。
 
そして合宿から帰宅すると、玄関で母がお帰りと出迎えてくれた直後、
「お母さん、行ってくるから。」と言われたんです。
 
当時、犠牲者の方々を棺に納めるために、看護婦は棺を安置する体育館へつめていました。
各日赤からは、日替わりでお手伝いに行っていたようで、母もそのひとりとして現地へ行ったんです。
 
帰ってきた時のことはよく覚えていないんですが、御巣鷹での話はほとんどしなかったと思います。
もし、何か聞いていれば覚えていると思いますから。
 
大人になってから、事故の担当刑事だった方の著書を読みました。
そこには、想像を絶する世界がありました。
人間というものはかくももろいものなのか、事故の衝撃とは何と凄まじいものなのかと・・・。
ただただ驚くことばかりでした。
 
それを読めば、母が何も語らなかったのもわかります。
とてもじゃないけど、犠牲者の方たちのその姿を離すことなどできなかったでしょう。
私も多感な時期でしたから、さすがに話す気にはなれなかったと思います。
 
その本を読んだ後母に話を聴き、本に書かれていることが真実だということを確認しました。
本当に、ご家族の方はどれほどの衝撃を受けたことでしょう。
私だったら、正気ではいられなかったかもしれません。
もう、二度とあのような事故が起こらないようにしていただきたいと、願わずにはいられません。
 
25年の月日は長いです。
あの年に生まれた子は、もう20歳をこえているわけです。
日航にも、事故を知らない世代がいます。
でも、あの痛ましすぎる事故を忘れることなく、決して風化させることのないようにしなければならないでしょう。
 
そして、各航空会社には安全な旅ができるよう細心の注意をしていただきたいものです。
乗客は、信頼して身をあずけているのですから・・・。
 
犠牲になった方々のご冥福を、改めて祈ります。